岩国城

畳で作った岩国城 畳で作った岩国城2 岩国城拡大 岩国城天守閣

この作品は畳の素材をもとに作ったものです。
製作者  石田 昭典

山口県庁一階エントランスホール(山口市)

山口県庁一階エントランスホール 

岩国錦帯橋空港 (岩国市)

岩国錦帯橋空港 

世界スカウトジャンボリー2015
(山口市 きらら博記念公園 ドーム内)

世界スカウトジャンボリー ドーム内 

海外の方も興味津々に鑑賞している様子で、驚きと喜びの声をいただきました。

アートふる山口(山口市 一の坂川)

アートふる山口 

岩国城

岩国城

photo by Yamaguchi Prefecture; (C)

所在地; 山口県岩国市横山

岩国城(いわくにじょう)は江戸時代初期、初代岩国領主吉川広家によって山口県岩国市横山に築かれた城です。築城7年後に、幕府の一国一城令により取り壊しに遭いました。
現在の天守は、天守閣跡より市内を眺望できる東側へ約50メートル位置を変えて、昭和37(1962)年に再建されたものです。

錦帯橋

錦帯橋画像

photo by Yamaguchi Prefecture; (C)

所在地; 山口県岩国市岩国一丁目

岩国城の麓の錦川には、日本三名橋の一つであり、国指定の名勝である錦帯橋(きんたいきょう)が架かっています。木造5連の構造(中央の3連はアーチ橋)という、世界的でも非常に珍しい構造をしており、世界遺産登録に向けて取り組んでいます。

毛利氏一門
吉川経幹(きっかわつねまさ)

第一次長州出兵で幕府軍の参謀西郷隆盛らと交渉にあたり、交戦回避に努め長州藩の危機を救いました。幕府軍の本拠地で丸腰で乗り込み交渉したことから「神か仏か岩国様は扇子一つで槍の中」と人々に敬われたといわれます。四境戦争(幕長戦争)では芸州口の戦いで長州藩の遊撃隊と活躍し、幕府軍に勝利し功績をあげました。四境戦争の翌年37歳で病死しましたが、存在が大きかったため長州藩宗主毛利敬親の命によりその死は秘匿されました。明治元年、敬親の推挙で城主格として岩国藩主と認められたのちに経幹の死が公表され、かねてよりの吉川家の悲願である宗家との関係改善が成就しました。

吉香公園(きっこうこうえん)

吉香公園

photo by Yamaguchi Prefecture; (C)

所在地; 山口県岩国市横山

吉川藩歴代の居館跡地を、明治になって公園として一般に開放したものです。広大な園内外には、香川家長屋門、旧目加田家住宅、錦雲閣、微古館などの名所旧跡が点在しています。また、四季折々の花が美しい風情をみせてくれる花の名所でもあります。

 

岩国城下町

岩国城下町

photo by Yamaguchi Prefecture; (C)

所在地; 山口県岩国市岩国一丁目周辺

現在の「岩国一丁目周辺」は、関ヶ原の合戦後に岩国へ移封された吉川氏の岩国藩城下町として形成された場所です。中級武士の屋敷が立ち並んでいた錦帯橋正面の「大明(だいみょう)小路」を中心に、碁盤目状・T字路の町割りになっています。大明小路の西側には、宿場町の玖珂や港町の柳井から商人が集まり店を構えたので、「玖珂町」「柳井町」の町名が付けられました。また、商品や職業「塩」「魚」「豆腐(登富)」「材木」「鍛冶屋」などが、そのまま町名になりました。平成19年に(財)古都保存財団の「美しい日本の歴史的風土100選」に選定されました。

 

白壁の町並み(柳井市)

白壁の町並み

photo by Yamaguchi Prefecture; (C)

所在地; 山口県柳井市柳井津(古市・金屋)

柳井川の北側、古市・金屋地区の町割りは、室町時代のそのままで約200mにわたり白壁と格子窓の土蔵造りの家並みが続いています。藩政時代には岩国藩のお納戸と呼ばれるほど繁盛しました。夏の金魚ちょうちん祭りの頃には、かわいらしい金魚ちょうちんが飾られます。一帯は「白壁の町並み」(しらかべのまちなみ)と呼ばれ、国の重要伝統的建造物群・保存地区に選定されるとともに、「美しい日本の歴史的風土準百選」に選ばれています。石畳の「古市金屋線まちかど広場地区」は、観光案内所と白壁の町並みをつなぐ通路にもなっており、一帯は「都市景観100選」に選定されています。
時代; 江戸時代 規模 面積1.7ha 長さ0.2km

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