高さ208cm 幅80cm×80cm(実物の15分の1)
この作品は畳の素材をもとに作ったものです。
(2005年~2006年製作)
製作者 石田 昭典
スカウト(先駆者)の皆様に日本の和の文化を体験していただくため、山口県和裁技能士会の方々に着物の着付けをしていただきました。記念に着物姿で畳の五重塔と撮影を行い、思い出に写真を差し上げました。
茶の湯体験。簡素ながら三畳間で茶道の先生にスカウトの皆様を茶でもてなしていただきました。スカウトの皆様からは満面の笑みをいただきました。
山口県畳技能士会、現代の名工の荒川有三さんによる手縫いの披露。日本ならではの畳職人の伝統技能を披露していただきました。スカウトの皆様も関心を寄せて声をかけていました。完成した畳は畳ベッドとしてくつろいでいただきました。
山口県畳技能士会の一級畳技能士の方々の協力のもとミニ畳の製作を体験している様子です。スカウトの皆様には完成したミニ畳と記念に受付でご記入していただいた本人の名前を入れ、日本語で書かれた表彰状を授与したところ、大変喜んでいました。日本の独自文化である畳に触れてよい思い出作りになったことでしょう。特に北欧出身の方の来場が多く見受けられました。
全国畳産業振興会のご招請をいただき「畳新市場開拓プロジェクト 2007」(京都府京都市立西京高校)に出展、畳工芸品を通して、山口県の主な文化財を紹介しました。
宮崎県技能士会連合会のパンフレットに掲載されました。作品を活用していただき誠に光栄に存じます。
※手前の作品は荒川有三氏の作品「錦帯橋」
photo by Yamaguchi Prefecture; (C)
所在地; 山口県山口市香山町7-1
570年間 風雪に耐え、歴史を育み訪れる人に
さまざまな思いを語りかけてくれる
見るたびに美しさを増す瑠璃光寺、五重の塔は郷土の誇りだ
瑠璃光寺五重塔(るりこうじごじゅうのとう)は日本三名塔の一つに数えられ、全国で10番目に古い五重塔であり国宝指定されています。
(他2基は京都の醍醐寺、奈良の法隆寺)
室町時代、200年に渡り栄華を極め、山口を本拠に西国一の勢力を誇った守護大名大内氏の最高傑作。
室町時代中期、応永の乱で命を落とした大内義弘の菩提を弔うために、弟の盛見が建立を計画し、1442年に完成したといわれています。
(30代当主大内義興の頃には、戦国時代で最初に上洛を果たし、織田信長以前の事実上の天下人となりました。また、多くの文化人の庇護が行われ、独自の文化、「大内文化」を創出しました。当時の山口は「西の京」と謳われ、京都に並ぶほどの文化都市となりました。)
瑠璃光寺境内(るりこうじけいだい)
photo by Yamaguchi Prefecture; (C)
所在地; 山口県山口市香山町7-1
「長州は、いい塔をもっている」
と、惚れぼれするおもいであった。長州人の優しさというものは、山口に八街九陌をつくった大内弘世や、ザビエルを保護した義隆などの大内文化を知らねばわからないような気もする。
司馬遼太郎『街道を行く』(一)長州路より
大内氏25代の大内義弘は、現在の香山公園に香積寺(こうしゃくじ)を建立しました。それからしばらくの時を経た関ヶ原の合戦の後、毛利輝元が萩入りし、香積寺を萩に移しました。その跡地に仁保から瑠璃光寺を元禄3年(1690)に移築しました。国宝の五重塔は香積寺の遺構です。曹洞宗で山号を保寧山といい、本尊は薬師如来です。防長屈指の大寺で、経文や画像など多くの寺宝が所蔵されています。境内には司馬遼太郎や若山牧水の文学碑、大内弘世の銅像などが数多く建てられています。
香山公園(こうざんこうえん)
photo by Yamaguchi Prefecture; (C)
所在地; 山口県山口市香山町7-1
国宝五重塔で有名な瑠璃光寺の周辺一帯を整備した公園です。園内には、幕末に毛利敬親が茶事にことよせて藩士と討幕の策を練ったといわれる露山堂や、薩長連合の志士が集った沈流亭、明治時代以降の毛利家墓所、瑠璃光寺資料館などがあり、日本の歴史公園100選にも選ばれています。
露山堂(ろざんどう)
所在地; 山口県山口市香山町 香山公園内
幕末に長州藩主毛利敬親が山口に藩庁を移した際、藩庁内の一露山の麓に築かれた茶室です。毛利敬親が茶事にことよせて藩士と倒幕の密議を重ねました。明治24年に現在地に移築されました。
枕流亭(ちんりゅうてい)
photo by Yamaguchi Prefecture; (C)
所在地; 山口県山口市香山町 香山公園内
明治維新の志士の集会所で、薩長連合の密議がなされたところです。薩長連合を推進するために、慶応3年(1867)9月薩摩藩の重臣小松帯刀、西郷隆盛らが続々と山口にやってきました。当時道場門前にあった安部半助方の枕流亭の2階で会見し、盟約がなって、幕府を倒す連合討幕軍の結成を誓いました。枕流亭は、その後2、3度移築され、近年修理されて香山公園に移されました。普段は開放されており、自由に建物内に上がることができます。
萩藩主毛利家墓所(香山墓所)
photo by Yamaguchi Prefecture; (C)
所在地; 山口県山口市香山町 香山公園内
萩市の旧天樹院、大照院、東光寺毛利家墓所とともに長州藩36万石の藩主の墓地です。墓所には13代毛利敬親と夫人、子の元徳と夫人、その子元昭と夫人、毛利本家歴代諸霊の墓の計7基と初代秀就の母周慶寺殿とその他の墓があります。
洞春寺(とうしゅんじ) 山門
洞春寺 観音堂
所在地; 山口県山口市水の上町5-27
戦国武将毛利元就(もうりもとなり)の菩提寺です。もとは室町時代大内盛見が建てた国清寺(こくしょうじ)で盛見の菩提寺でした。毛利氏が防長二カ国に移ってからは毛利隆元の菩提寺となりましたが、のちに毛利元就の菩提寺となり明治に洞春寺に改称しました。山門は室町時代創建当初のもので全国でも大変貴重な四脚門で国の重要文化財に指定されています。(観音堂も重要文化財に指定。)